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笛を吹いたのは誰だ!(2001年9月30日)
昨日のマドリ-バジャドリ戦、シダーンの開始4分の1点を2分後にはフェルナンドが返し同点にしましたが、マドリの選手はみな、その前に審判がファールの笛を吹いたとプレーを止めてしまっていました。その選手達が止まっているなかを、バジャドリの選手、トテとフェルナンドだけがプレーを続け、ゴールを決めたわけです。マドリの選手達の審判への激しい抗議も、審判は笛など吹いていないと取り合ってもらえません。 審判が吹いていないとしたら、このマドリのディフェンス全員が聞いたという笛はいったいどこから聞こえたのか、Grana探偵団は捜査を開始。綿密な聞き込み調査により、犯人はバジャドリのコロンビア人、ロサーノと確定しました。彼は、笛の音を真似るが非常に巧く、ボールを要求するときにその音を出し、人々を混乱させることがあるという事実をつきとめました。また調査のなかで、ロベルト・カルロスはそのことを知っていたという事実も明らかになりました。 |
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[ バルサ医院 ] (2001年9月28日) 急患2人! 本日、クリスタンバルとロッケンバックが急患窓口に担ぎ込まれました。 クリスタンバルは、レベルクーゼン戦で、アキレス腱を痛め、筋肉疲労のジェオバンニと共に、水曜日の練習はお休みしていました。しかし、木曜日には2人とも復帰し、ソシエダ戦には問題ないと言われていましたが、クリスタンバールは、きょう、右足の故障で、戦線離脱。日曜日に再検査をする予定で、今のところは20日間くらいといわれています。 ロッケンバックは今朝の練習中に、右膝内側のじん帯損傷し、これも最低20日は回復まで必要といわれています。 |
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リバルド大聖人が帰ってきた!(2001年9月28日)
2週間のブラジルでの治療を終え、昨日リバルドがバルセロナに戻ってきました。疲れを知らぬ大聖人、直ぐに練習に参加、監督が望めば土曜日のソシエダ戦にもでられると発言。昨日の大聖人の行動をおってみました。 10:50 バルセロナ空港から、カンプノウに直行。直ぐに着替えて、マシアの練習場に向かう。 16:00 クリニックでいくつかの検査を受ける 本当なら午前午後と2回練習をする予定でしたが、飛行機が遅れたこともあり、さすがの大聖人も長旅で疲れたようなので午後の練習はお休みになりました。バルサ医師の発表によると、検査の結果は完治しているといってもよいが、ただ、本格的な練習に耐えられるかどうか、今日の練習を見て結論を出したいということ。一方、明日のソシエダ戦には無理をさせず、次のマヨルカ戦から起用したいというのが、監督の意向のようです。 |
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バルサのカンテラとマシア(2001年9月27日)
昨日ミニスタディで、バルサフットボールチームの全カンテラのプレゼンテーションが行われました。それは1部の直ぐ下に属するバルサBから、ベンジャミンBと呼ばれる10歳以下の選手達まで250人ちかくが一堂に集まってのプレゼンテーション。注目を集めたのは、ベンジャミンBに属するリバルディーニョ。背番号はもちろんお父さんと一緒の10番(近日中、「バルサマニア」にて、カンテラ選手写真掲載予定)。 さて、カンテラといえば、直ぐ思い浮かぶのが、コラムマニアにもあった「 La Masia 」(ここ)。若手選手の寄宿舎として1979年から使われているカンプノウに隣接した古い建物に、現在60人の若手選手が親元を離れ、寄宿生活を送っています。しかし、この60人という収容人員はもう何年も前から足りなくなっており、新しい施設が希求されていました。バルサが推進するスポーツ都市計画のなかに、このカンテラのためにもっと多人数収容できる近代的な寄宿舎も含まれており、それが実現すれば「 La Masia 」に住む若もの達も含め、すべてそちらに移動することになります。 現在「 La Masia 」に住む60人は、バスケットボール選手など、フットボール選手だけではありません。出身は5人の外国人を除いてスペイン人で、各地から集まってきています。以下が選手の出身地別データ。 (22人)カタルーニャ<地元> |
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グアルディオーラの再就職先決定(2001年9月26日)
バルサ退団を発表してから、いつまでも行き先が決まらず、ファンをやきもきさせていたペップの行き先が、ようやく決定しました。それは希望していた国の一つイタリアのチーム、ブレシア。現在イタリアリーグで8位に位置するこのチーム、監督はカルロス・マツォーニで、昨シーズンは、ロベルト・バッチオを獲得しています。 今まで発表された情報によると、契約は1シーズン(8か月)、両者の合意があればもう1年のオプション付き。給料は4億5千万プラス2億の契約報奨金、それとチームの成績次第で1億の報奨金がつきます。その他、家、車、20回分の飛行機チケット代も用意されます。 |
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[ バルサ医院 ] (2001年9月26日) オーベルマースのキッス病って? 風邪かと思われたオーベルマース、実は俗称「キッス病」といわれる病気で3週間は安静という診断。この何とも思わせぶりな病気はいったいどんなものなんでしょう。 正式病名 MONONUCLEOSIS(単核細胞増加症) 定義 ビールス(ヘルペスの一種)によって起こる病気で、唾液を介して感染するため、俗に「キッス病」と呼ばれる。また輸血によっても感染。潜伏期間は7日〜14日。 症状 初期症状は、リンパ腺の腫れに伴い、熱、悪寒、のどの痛み、頭痛、筋肉の痛み、無力感などで、人によっては脾臓の腫れ、吐き気、黄だん、動悸など。 治療 病気としては軽いものだが、特に特効薬はなく、最初の1週間はベッドで安静に。そのあと2、3週間は寝ている必要はないが、家の中で休養と、とにかく直るまで安静にしていることが唯一の治療。 この病気、あまり知られていないようで、新聞でも紙面を割いて説明をしていますが、今までにもスポーツ選手でかかった人たちがいます。スペインでは、バルサの選手時代にアモールがかかっていますし、テニス選手のアレックス・コレッチャ、自転車のヒメネス、陸上選手アンドレス・ディアスもシドニーオリンピック中にかかりました。その他、フットボール選手バン・バステン、テニス選手スティッフ・グラフもその仲間です。 |
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Hugh Dallas という審判(2001年9月25日)
チャンピオンズリーグ第2戦目の今日、レーベルクーゼン戦を吹く審判は、Hugh Dallas、スコットランド人。 バルサの試合は今まで3回受け持っており、結果は1敗2分けとあまりいい結果を残してはいません。この1敗のみがバルサ地元試合で、あまり思いだしたくない、0-4で負けたディナモ戦です。その3試合は以下のとおり。 1998-99 バルサ - ディナモ・キエフ(0-4) |
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国王杯組み合わせ発表(2001年9月24日)
10月10日に予定されいる国王杯(Copa del Rey)1/32の組み合わせが今日発表になりました。この試合は昨シーズンから採用されている、格下チーム地元でのみの1回対戦になります。またバルサとデポルティーボはチャンピオンズリーグの試合がこの日に延期されているため、11月7日に行われます。バルサの相手は2部B・第2グループのフィゲーラス。このチームは2部BではでバルサBと同じグループで現在10位(バルサBは1位)。 その他、目立ったところでは、アトレティコとラーヨの対戦とダービー戦が組まれました。昨シーズンこの段階で敗退したレアルマドリの相手は2部B・第3グループのプラヤス・ハンディア。このチームはレアルマドリBと同じグループで現在4戦4敗で20位(レアルマドリBは2位)。 詳しくはDATA欄に掲載してありますので、ここをご覧下さい。 |
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レーベルクーゼンというチーム(2001年9月23日)
初戦に引き続きフエラで戦うバルサの相手はドイツのチーム。 Bayer Leverkusen 1904年創立。スタジアムは25,000人収容の Bay Arena 。創立以来の成績は国内カップ優勝1回、UEFAカップ優勝(1988年)1回。この決勝戦は当時クレメンテ率いるエスパニョールとで、PK戦の末、優勝しています。チャンピオンズにはバルサと同じく3次予備戦より参加。ユーゴのエストレージャ・ロハを破って立ち上がってきています。 監督は Klaus Toppmoeller で2年目を迎えます。選手には、今シーズンバルサが一時狙っていたといわれるアルゼンチンのプラセンテ、ブラジルのルシオがいます。 今シーズンの成績は、7節終了現在3位。昨日行われたドルトムンド戦を引き分けたため、2位の座をバイエル・ミューヘンに奪われました。しかし、4勝3分けと負け知らず。 過去に置いてバルサとレーバルクーゼンの対決はUEFAカップ(1987-88)準々決勝での2回。レーベルクーゼン地元で0-0と引き分けたバルサですが、カンプノウで0-1とされ、1敗1分の成績。レーベルクーゼンのオフィシャルページはこちら。 |
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[ バルサ医院 ] (2001年9月24日) 退院する人、戻ってくる人、入院する人 ジェラールが長い入院生活を終え、ようやく戦列復帰。昨シーズン4月4日に右膝を手術して、実に5か月半ぶり、途中8月初めに復帰したと思われたジェラールですが、そこでまた負傷をし、回復に今までかかってしまいました。明日の試合に出られるかどうかは別として、久々にメンバーに呼ばれ、チームのみんなと一緒に今朝ドイツへ向かいました。 一方、順調に回復していると、ブラジルからの知らせのあるリバルド、砂浜での練習を終え、今度はグラウンドで最終調整に入るということ。そして木曜日にはバルセロナに戻ってくる予定。ブラジルの担当医師は、土曜日のレアル・ソシエダ戦にでられるといっていますが、これはリバルドが戻ってきてからバルサの医師達の検査を待たねばなりません。こんなに早いリバルドの復帰は嬉しいニュースですが、もし完全復帰であれば、10月7日のチリ戦のりストに入っているリバルドはまたブラジルに行かねばなりません。そうなると少なくともデポルティーボ戦にはでられないことになります。 オランダナショナルチームでおった右膝の負傷については、かなり前に医師からの退院許可が下りていたオーベルマース。しかし、本人は痛みが取れないと、未だに戦れる復帰は避けていました。それもようやく、明日のレーベルクーゼン戦には大丈夫、と選手リストにも名前を連ねたのですが、今度は感染症とかで、医師の診断によると3週間戦列離脱ということです。 |
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どっちでもいいんです(2001年9月22日)
ガッツあるプレーで多くのファンを魅了してしまったロッケンバック。両親もすでにバルセロナに引っ越してきて一緒に住んでいます。お父さんは、若い頃ブラジルではプロのフットボール選手でした(バルサの選手名簿のロッケンバック-ここを参照)。そこでバルセロナに来てからもプレーしたいと、バルサに申し込み中・・・といっても息子と一緒にではなく、バルサのOBチームで。ただここでちょっとひっかかるのは、エスパニョールのOBチームにも申し込んでいること。バルサとエスパニョールの歴史的対立をご存じないお父さんにしてみれば、バルセロナの2チームのどちらでも、受け入れてくれるところで、と別に他意はないのですが・・・。 |
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[ バルサ医院 ] (2001年9月21日) リバルドは3週間で回復するか ブラジルの医師団、バルサの医師団で見解の違ったリバルドの負傷。結局、3週間で回復と主張するブラジル医師団がブラジルで治療をすることになり、リバルドは14日にリオに。その後リバルドはホテルで4人の医師付き添われ、朝は9時30分から13時30分、午後は16時30分から19時30分とみっちりリハビリをしており、予定の3週間後には80%回復と数日前の声明。しかし、昨日は、リオから数十キロ離れたところの砂浜を走るリバルドの姿を発表。すでにボールにもさわりはじめたということで、今週末にはグラウンドで練習も可能になるだろうし、3週間以内で95%回復するだろうと朗報がもたらされました。 もう一つの朗報は、ジェラールの完全復帰。医師団の退院許可をもらったジェラール、今週間末のテネリフェ戦に呼ばれています。 |
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タンゴ エスパニョール 最終楽章(2001年9月20日)
スペインでプレーされるタンゴのりズム。ちょっと間が空いてしまいましたが、いよいよ最終楽章。今シーズンリーガに在籍するアルゼンチン選手によるオールスター対決。彼らだけでゆうに2チーム以上作ることができますが、ここは2チームに厳選して対決してもらいます。どちらが勝つんでしょうか・・・それは想像の世界。 FC・タンゴ レアル・タンゴ |
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[ バルサ医院 ](2001年9月20日) アルフォンソ、2週間のKO! チャンピオンズリーグ第1試合を勝利で飾り、昨日(19日)早朝にバルセロナに戻ってきたバルサ。午後には軽い練習をしましたが、そこでアルフォンソは左足首をいためてしまいました。現在までの発表では、回復までには2週間はかかるだろうということです。 |
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Figo & Zidane 大活躍(2001年9月19日)
昨夜はバルサの面々がトルコで大活躍。一方マドリッドではフィーゴとジダーンが、ベルナベウで大活躍! そ、そんなはずはない! と否定するあなた、いやこれはホントの話。 彼らの戦う相手は、ラス・パロマス・・・という、パロマ(鳩)の集団。どのチームもグラウンドの芝をきれいに保つための手入れをしますが、そこに随時種をまいて新しい芝もつくります。そして、この蒔いた種を鳩から守るのも仕事の一つ。そこで、ベルナベウのグラウンドに舞い降りる鳩を追い払うのに、絶妙なボール裁きでフィーゴとジダーン大活躍・・・これはちょっとウソ。じつはこのフィーゴとジダーン、種を食べる鳩を追いはうためにレアルマドリが雇った、2羽の鷹の名前・・・これはホント。彼らは(誰かと違って)、払われた分の仕事はりっぱにこなしているということです・・・これもホント。 |
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Anders Frisk という審判(2001年9月18日)
あと6時間後と迫ったフェネルバッチェ戦、この試合を受け持つ審判は、Anders Frisk、スウェーデン人、38歳。1991年からFIFAの国際審判。6月のイスラエル-スペイン戦の審判もしています。 バルサの試合は今まで5回受け持っており、結果は2勝1敗1分と、バルサ有利の統計。フエラでは3試合で1勝1敗1分。最後の試合が頼もしい。その5試合は以下の通り。 1995-96 バルサ - PSV(2-2) |
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フェネルバッチェというチーム(2001年9月18日)
本来ならチャンピオンズリーグ第2戦となる今日のフェネルバッチェ戦、先週のリヨン戦が延期になったため、バルサはフエラからの第1戦となってしまいました。 Fenerbahce 1907年創立、トルコでは名門チームの一つ。スタジアムは32,500人収容の Sukru Saracoglu 。創立以来の成績はリーグ優勝14回、カップ優勝4回。チャンピオンズには、バルサと同様に3次予備戦より参加、グラスゴー・レンジャースを破って立ち上がってきています。 監督は Mustafa Denizli、2年目で、その前4年間はトルコのナショナルチームの監督をしていた人です。またガラタサライの監督もしたことがあります。スター選手は、以前セルタにいたイスラエル人のレビボ。彼も監督と同じく、2シーズン目になりますが、昨シーズンは14ゴールを決めています。 今シーズンの成績は、現在リーグ4位。先週末の試合は地元で1-0と勝っています。しかし、現在まで地元では行われた3試合には全勝と、地元で強いチームの様相を見せています。 過去に置いてバルサとフェネルバッチェの対決は1度もありませんが、他のトルコのチームとは8回対戦しており、結果はバルサの4勝3敗1分。ただし、この4勝はカンプノウで行われたもので、トルコへ行っての試合では3敗1分けと勝ちがありません。そのうちの1敗は、苦い思い出の残る去年のチャンピオンズリーグのベシクタス戦です。フェネルバッチェのオフィシャルホームページはこちら。 |
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オデッセイ・トルコ(2001年9月17日)
明日18日のチャンピオンズリーグ・フェネルベッチェ戦のため、バルサの選手達は、今朝(17日)、バルセロナ・プラッツ空港からトルコ・イスタンブールに向けて出発しました。そして明日、20:45からの試合を終えたあと、01:45には、チャーター便でバルセロナに向けて戻ってくる予定です。 アメリカへのテロ事件のため、先週のリヨン戦は中止・延期になっていますが、今回のトルコ行きも、このテロ事件に対してのアメリカ側の報復行為がいつはじまるか分からない、ということで、中東に隣接するトルコでの安全性について心配されています。今のところ、まったく問題ないということですが、バルサ首脳陣は、空港閉鎖などの緊急事態が起こったことも考えて、帰路については2つの代替案を用意しています。一つは、フェリーでイタリアのトリエステに抜け、そこから飛行機でバルセロナに帰るルート。もう一つは陸路でルーマニアのブカレストに抜け、そこから空路で帰るものです。 バルサの選手達が、勝利の3ポイントを持って、無事バルセロナに戻って来ますように。 |
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タンゴ エスパニョール 第3楽章(2001年9月16日)
スペインリーグで活躍した有名アルゼンチン選手。年代順で見ると、50年代リアルマドリの黄金時代を築いた大立役者、ディー・ステファノがあげられるでしょう。彼の移籍と前後して外国人選手のリーガでのプレーが禁止になっています。そのためGrifa、Garranza、Marco Aurilio、Dominguez、Raulというような、スペインとの二重国籍をもつ選手ばかりになります。 1973年、外国人選手への扉が開かれます。そしてこの70年代に名を残すアルゼンチン選手は、マリオ・アルベルト・ケンペス。バレンシアで2年間プレーしたあと、エルクレスに移籍。ただし、ここはシーズン途中でぬけてしまいます。ケンペス抜けたあとのエルクレスは負け続け、そのシーズン2部落ちを喫しています。この時代には、AyaraとHeredia(アトレティコ)、FarnevalliとWolfとMorete(ラス・パルマス)、D'AlessandroとRezza(サラマンカ)、Ferrero(ヒホン)、Ruben Cano(エルチェ)、Valdano(アラベス)、Zuviria(ラーシング)、Guuiliano(エルクレス)などの選手がいます。 80年代の代表選手はなんといってもマラドーナ。当時最高の10億ペセタという移籍金でバルサにやってきた若きスター選手ですが、肝炎にかかったり、試合中の激しいファールから大けがをし、数か月もプレーできなかったりで、たった2年間の在籍でナポリに移籍してしまいます。この時代の選手としては、Fillol(アトレティコ)、CalderonとPumpido(ベティス)、Brown(ムルシア)、Ruggeri(ログローニェス・レアルマドリ)、Barbas(サラゴサ)。 90年代はアルゼンチンから選手が流れ込んできた時代。「ボスマン判決」から、ヨーロッパの多くの選手が外人枠を逃れることになり、空いた枠に南米の選手が入ってきたことが原因ですが、このころからTV放映権の収入が一気に増えたことも、選手獲得に拍車をかけました。この時代の代表はたくさんいます。その一人に、バルサが苦しめられたバレンシア時代のピオッホ・ロペス。同じくバレンシアのキリ。ゴンザレス。テネリフェからレアルマドリに移ったレドンド。シメオーネ(セビリヤ・アトレティコ)、ピッツィ(テネリフェ・バルサ)。ポチェティーノ(エスパニョール)などなど。 さて、世紀が変わっての00年代、サビオラの時代が始まろうとしてます。 |
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玉突きの行方(2001年9月15日)
アメリカで起こったテロ事件により、9月12日に予定されていたチャンピオンズリーグ第1試合バルサ-リヨン戦と、リリエーデポルティーボ戦が中止となり、10月10日に延期されました。スペインではその日に国王杯の試合(1/32)が組まれており、バルサとデポルティーボはフエラで1試合する事になっています。そのため、この2試合のみ11月7日に延期することになりました。しかしここでまた問題が一つ。この日にバルサとデポルティーボに当たるチームはまだ決定はしていませんが、2部A以下のチーム。そして11月7日には2部Aのリーグ戦が予定されています。もしこれに該当するチームががでた場合、つぎはこの2部Aのチームの試合日をさがさなければなりません。 |
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タンゴ エスパニョール 第2楽章(2001年9月15日)
ある新聞の調査によると、アルゼンチンは過去25年間でなんと5,482人のフットボール選手を他国に移籍させています。これは実に41時間に1人、選手を放出していることになります。行き先の内訳はアメリカ4,104人、ヨーロッパ1,250人、アジア66人、オセアニア53人、アフリカ9人。国別に見ると、パラグアイが1位で699人、2位のチリが510人、3位にスペインが入っており、426人。メキシコ403人、コロンビア345人、イタリア295人、エクアドール287人と続きます。 選手を買うためにアルゼンチンフットボール界に一番お金を投入している国をみると順位は変わって、スペインがトップに踊りでます。約3億ドル、イタリアが約2億ドルで続き、3位はフランスの6,400万ドルとヨーロッパ勢が上位3位を占めます。一人の選手での記録は、今シーズンバルサがサビオラ獲得に使った43億ペセタ。これは、かつて最高といわれたマラドーナの金額30億ペセタ(現貨幣価値に換算)を大きく上回ります。続いてバレンシアがアイマールに使った39億ペセタ、ローマのサムエルが38億5千万ペセタ。 これらの移籍によってアルゼンチンは、25年間で1,500億ペセタもの収入を得ているということです(この金額は現在の貨幣価値に換算してのもの)。アルゼンチンフットボール界は、自国の優れた選手を売ることによって生き延びてきたといっても過言ではないでしょう。しかし、それでもまだ多くの借金を抱えているのが実状で、これからもこの傾向は続くことになりそうです。 |
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タンゴ エスパニョール 第1楽章(2001年9月14日)
ハビエル・サビオラ、アルゼンチン人、19歳。今シーズンのリーガ、注目選手の一人。しかし、この若いバルサの新人はリーガで活躍するタンゴの国からやってきた選手群のホンの一角でしかありません。スペイン1部リーグに在籍するアルゼンチン選手はなんと54人。20チーム中18チームに分散しており、アルゼンチン選手がいないのは、レアル・ソシエダとバスク人のみというモットーのビルバオの2チームのみ。一番多いのは6人抱えるマヨルカとテネリフェ。続くのは5人のアラベス。 なぜにこんなにアルゼンチン選手が多いのか。理由は2つ考えられます。第1は選手の値段。特別の選手(例えばサビオラ)以外は、わりと安い値段でいい選手が手にはいる。これは、アルゼンチンフットボール界の選手達に給料さえ払えない状況から、クラブもなんとしてでもお金がが欲しい、選手も給料が上がりしかも確実に払われるヨーロッパにいきたがる、ということで、スペインクラブ側にとって交渉が有利に進む。 第2は、外人枠でなく、EU選手としてプレーできる選手が多いこと。事実、リーガ在籍の54人中38人は今シーズン始めから外人枠には入っていませんし、残りの選手達の多くも今年中には2重国籍を取るつもりでいます。そうするとまた来年1月には新たな選手がアルゼンチンからやって来るかもしれません。 以下がリーガに在籍するチーム別・タンゴの国出身の選手たち。 バルサ サビオラ、ボナノ |
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バルサ-リヨン戦は10月10日(2001年9月12日)
昨日のアメリカで起こった惨事の被害者の方々に哀悼の意を表し本日予定されていたチャンピオンズリーグの試合と明日のUEFAカップの試合のすべて中止を、今朝UEFAが決定。チャンピオンズリーグは10月10日、UEFAカップは9月20日に延期となりました。この10月10日ですが、フランスではリーグ戦、スペインではカップ戦が予定されています。しかし、UEFAの決定が最優先ということで、すでに予定が入っている国は、それを各自で調整しなければなりません。 |
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Urs Meier という審判(2001年9月11日)
チャンピオンズリーグ前夜のバルサ。前回は相手チームリヨンについて書きましたが、今回は、明日の試合を吹く審判 Meier について。 Urs Meier 、チューリッヒ生まれのスイス人、42歳。1977年から審判をしており、1994年からFIFAの国際審判。1998年のフランスワールドカップ、2000年のオランダ・ベルギーユーローで吹いています。先日のリバルドが負傷したアルゼンチン-ブラジル戦の審判でもあります。 バルサの試合は今まで4回吹いており、結果は2勝2敗。ペナルティ4回、これもバルサに2回、相手チームに2回と分けています。その4試合は以下の通り。 1999/10/19 アーセナル - バルサ(2-4) 2000/5/2 バレンシア - バルサ(4-1) 2000/11/8 バルサ - ベシクタス(5-0) 2001/4/19 リバプール - バルサ(1-0) |
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リヨンというチーム(2001年9月10日)
いよいよ今週からチャンピオンズ1次リーグが始まります。バルサの第1試合は12日、カンプノウでフランスのリヨンと対戦になります。リヨンの選手達は11日にバルセロナに入る予定。 Olympique de Lyon は、1950年創立、スタジアムは42,000人収容の Gerland。創立以来の成績は、カップ優勝3回(64、67、73)、リーグカップ1回(2001)。昨シーズンの成績は、リーグ2位で、チャンピオンズには予備戦なしで1次リーグからの直接参加です。 監督は Jacques Santini、そしてスター選手に、97-99にバルサに在籍したブラジル人、ソニー・アンデルソンがいます。彼は8月21日の試合で、3週間の負傷をし、バルサ戦に出られるかどうか直前まで分かりません。 今シーズンの成績は、6節終了の段階で、4勝1敗1分で、3位。最後の試合はマルセイユ相手にフエラで0-0と引き分けています。これで3試合連続無失点。リーグ6試合のうち失点は3点のみというガードの堅いチームです。 過去にバルサとリヨンの対決は1度もありませんが、他のフランスのチームとは13回対戦しており、結果はバルサの5勝4敗4分。リヨンのオフィシャルホームページはこちら。 |
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[ バルサ医院 ](2001年9月10日) リバルド、手術の可能性も! アルゼンチン戦で膝を傷め戻ってきたリバルド。当初は3週間の休養で回復といわれていましたが、未だにバルサ医師団からは、はっきりした発表がなされていません。再検査の結果しだいで、手術の可能性も捨て切れないということ。もし手術することになれば、回復には2〜3か月はかかります。 |
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入れ墨はココ(2001年9月9日)
選手の入れ墨については以前にも何度か取りあげましたが、今シーズンからのイタリア人選手ココも、入れ墨好きの様子。彼は両二の腕と、背中の3個所に入れ墨をしているそうです。背中は抽象的な模様ですが、右腕には、中国語で、父と母とお姉さんを、左腕には、自分自身と甥っ子についての入れ墨。今回入手は右腕の入れ墨の写真。 |
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リバルドの負傷(2001年9月8日)
ナショナルチームの試合から帰ってくるとなぜか負傷しているオーベルマース、と思っていましたが、今度はリバルドまで。リバルド本人も「3週間なんてケガは初めて」と言っているように、ケガの少ない彼にしてはかなりの重傷。しかも週2試合ペースの時に重なるため、回復が診断通りの3週間なら最低でも6試合の欠場となります。これはリバウドがバルサに来てからの超記録。ちなみに、過去4シーズンでやむなく欠場したのは17試合のみ。うち10試合がケガのため、5試合がセレソンに呼ばれたため、残り2試合はリバルドの発言にファン・ハールが怒り罰則として呼ばなかったため。詳細は以下の通り。 97/12/13 バルサ-エスパニョール(セレソン)3-1 |
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[ バルサ医院 ](2001年9月8日) リバルド、左膝を負傷 セレソンの試合でブラジルに戻っていたリバルドが、昨日バルセロナに戻ってきました。戻る前から、負傷したことについては分かっていましたが、検査の結果は、思ったより重傷で、20日間は回復に要するということ。負傷は左膝外側のじん帯の筋で、他の個所にも問題が見つかっています。負傷の部分が膝ということで、復帰は無理をせず、慎重にしたいとのこと。 なお、やはりオランダのセレクションから軽い負傷をおって帰ってきたオーベルマース、昨日の練習にも参加できませんでした。膝の痛みは軽くなってきているということですが、ラーヨ戦に呼ばれるかどうかは今日の状況次第。 ジェラールは、もう完全復帰宣言。あとはリズムを取り戻すだけ、ということですが、8月初めにも同じようなことがあったので、ここは慎重にして欲しいところです。 |
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全員集合!(2001年9月7日)
明暗を分けたナショナルチームの試合を終え、ヨーロッパの選手達がバルセロナに戻って来ました。スペインとスウェーデンは明るいニュースを、オランダは残念ながら暗い方。スペインアンダー21も、かなり厳しい結果になっています。それでも、昨日の午後には、プレゼンテーションを終えたココも練習に参加し、ほぼ全員で日曜日のラーヨ戦に備えました。以前からの負傷者以外で昨日練習しなかったのは2人。1人はオーベルマースで、右膝に痛みを訴え、ナショナルチームから戻りました。しかし、大事をとって1日休んだだけで、今日からはもう復帰の見込み。あと1人、つらい結果と疲労を背負って、リバルドが今日の午後ブラジルから帰ってきます。 |
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センスないんだから(2001年9月6日)
100周年に向けて、あれやこれや話題を提供してくれるメレンゲ集団ですが、今回は、選手ロッカールームをリフォームしたと、大宣伝。今まで、どれほどボロボロだったのかは分かりませんが、メディアにのった映像は、確かにモダンできれい。マッサージ台、ジム、風呂 ・・・そして選手のロッカー。磨りガラス(?)の両開きのドアの上には大きた金色プレートに大きな名前(メレンゲ集団は目が悪いのかなぁ)。その上には名前と背番号入りのユニフォーム(メレンゲ集団は、字が読めないのがいるのかなぁ)。まぁ、ここまでは良しとしよう。しかし、そのロッカーのドアに貼ってある各選手の全身ポスターはないんじゃない? ロッカーのドアの裏に彼女の写真や、子供の写真を貼る選手の話は聞きます。学生だったら好きな歌手や、モデルなどのポスターを貼ることだってあるでしょう。でも、自分の全身ポスター貼ったロッカーを使いたいと思う人がいますか?・・・・一人くらいいるかもしないな、あそこには・・・。 ちなみにこの写真、メレンゲのオフィシャルページ(スペイン語版)に載っています。右の「Modernizacion del Bernabeu」の記事。興味のある方は一見。 |
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監督のルール改定要望(2001年9月4日)
前回、改正されたルールについて書きましたが、今回は、ビッグチームの監督が願うルールの改定について。 先日スイスでヨーロッパ有名チーム監督を集めたUEFA主催の会合がもたれました。スペインからは、レシャック(バルサ)、デル・ボスケ(マドリ)、イルレッタ(デポルティーボ)の3人が参加しています。そこで話し合われたことの中に、今後このようにルールを改定して欲しいという要望のなかに以下の案が含まれています。 1. 1試合5人の選手交代(現在3人) 1については、レシャックは、「ファンはクラックをいつもみたいと思っているが、現在のように週に2回も試合があるようでは、常に90分プレーできるものではない。5人まで代えられれば、リバルドなどは毎試合45分はプレーできるようになる。例えばマイケル・ジョーダンは、80試合もでているが、どれ一つとして30分以上プレーしてはいない。」という意見。交替に時間がかかるという問題については、少なくとも2人はハーフタイムの時に代えるようにするという案が出されました。 2については1との絡みもありますが、多くなれば、監督の選択の幅も増え、試合も面白くなるという意見。 3については、参加した監督全員が、このルールはできるだけ早くなくして欲しいという意見。「これはまるで、食事中に席を立ち、出ていってしまうようなもの」とはリバプールの監督。延長戦30分を戦うのが理想だが、無理なら、前半15分を戦い、それでも同点なら後半15分も。もし前半15分でどちらかが勝っていたらそれで終了、という案もだされました。 これらの案は、今後UEFAで検討されるということです。 |
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脱いでもOK、交換してもOK(2001年9月3日)
今までイエローカードの対象だった行為の中で、特に観客や選手に危害を加えるわけではないと、今シーズンから、許可になったものの一つにユニフォームを脱ぐというものがあります。今まで、ゴールを祝ってユニフォームを脱ぐ行為はカード対象で、他の選手が、脱いだ選手を囲み隠すというシーンも見られましたが、もうその必要なし。というわけで、リーグ第1試合には、この変更を満喫した選手が何人かでました。ベティスのガストン・コサスもその一人で、脱いだユニフォームを振りながら走り回りました。一方、同じ試合のマラガ側ではデリー・バルデスとダリオ・シルバがお互いのユニフォームを交換するというちょっと変わったことまでやってのけています。 このほか、地味ではありますが、変わったルールとして、第2監督が、選手に指示を与えるためにベンチをでてもよいことになりました。ただし、これは監督とどちらか一人だけで、二人一緒に指示を与えるためにベンチをでることはできません。 |
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カンプノウで試合をすると・・・(2001年9月2日)
01-02シーズンがいよいよ始まり、9月9日には、カンプノウでの最初のリーグ戦が行われます。ラーヨ戦ですので、一杯になることはないかも知れませんが、もしカンプノウが一杯になれば、98,600人の観客がはいるということ。それはちょっとした町の人口よりも多いのです。 では、カンプノウで試合が行われる時、いったいどのくらいの人が働き、どのくらいの費用がかかるのでしょうか。まず、試合のある日に働いてもらう契約をしている人は約1,200人。入場口や席の係員などはもちろんですが、その他に水道・電気の専門家、大工さんなどが、もしもの時のために10人以上常に待機しています。 もちろん、医療関係も忘れてはなりません。医者4人、看護婦13人、緊急に病院に運ばなければならない時のための救急車部隊10人。もっと補助的な役割の赤十字の人たち72人。選手がグラウンドで倒れたときに入っていく電気自動車を運転する2人は目立つ仕事。そして彼らを統括するボス1人を含めると医療班は102人。 保安のため、いたるところに備え付けられた監視カメラを集中管理する部屋で働く人たち。そして、この数字に入っていない、スタジアムの外で交通整理などをする警察官の人数もかなりにのぼるはず。 その他、芝に水をまく人、アナウンス担当、などなどでその数1,179人。 それでは、試合のためカンプノウを1回オープンするのにいったいいくらかかるのか。答えは、1,200万ペセタ。これはふつうの試合の場合。もしそれが、R・マドリやエスパニョール、チャンピオンズなど特別な試合の場合は保安担当者数を増やすため、400万ペセタ上乗せになります。内訳は以下の通り。 掃除・他 1.741,000ペセタ なお、このほかにも別の会社から派遣されてきている人たちが700人働いています。何かというと、カンプノウの敷地内で飲み物や食べ物を売っている人たち。例えば、カンプノウが満員になった日は、いったいどれだけの物を人々は飲み食いするのかというと、11,000個のボーカディージョ(サンドイッチ)、50,000杯の飲み物。ちなみにハーフタイムの一番忙しい時は、店員一人で1分間に4人のお客さんをさばくそうです。 |
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21世紀のエスクード(2001年9月1日)
先日、今シーズン用のソシオカードが送られてきました。何となくバルサのエスクードの雰囲気が違うように感じられたのですが、小さいし、あまり気にしていませんでした。しかし、やっぱり変更になっているということが今日分かりました。 写真が手に入ったのでこちらをご覧下さい。左右のギザギザギザが、ギザだけの一つになったのと、下のギザギザも減ってギザだけ、そしてF.C.B.がFCBになっているところに注目。ちょと色が悪いですが、実物はもっと明るい感じの色です。 7月の行われた総会で21世紀の新しいエスクードとして発表があったらしいのですが、一般には発表はされていません。エスクードの変更はかなり重大ニュースだと思うのですが・・・。 |
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チャンピオンズに登録選手(2001年9月1日)
ヨーロッパの大会への選手登録が昨日の夜中を持って締め切られました。バルサの選手登録は、チャンピオンズ3次予備戦の時にされた人たちのうち、ゼンデンが抹消され、その代わりに滑り込みでレンタルが決まったココが23番に。また、結局バルサに残ることになりそうなドゥトルエルは25番をもらい登録。この24人(16番が欠番、詳細はDATA欄のここ参照)とバルサBからの30番オレゲル・ルレサスという選手を含め25人の登録となりました。 このオレゲル・ルレサスという選手、聞いたことがないけどそんないい選手なの? と疑問に思う方のために一言。バルサBで彼だけがUEFAの規定に当てはまらず、今回の登録なしではヨーロッパの大会にバルサの選手として出場することができないのです。その規定とは、21歳以下で、バルサ2部で2年以上プレーしたことにあるる選手はいつでもヨーロッパ大会に登録できるというもの。オレゲルは、今シーズンからGramanet というチームから入ったばかり。これで、彼も他のチームメイトとともに、チャンピオンズリーグに出場の夢を持つことができるようになりました。 |