2001年
2002年
2月
試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月27日)

●ローマ-バルサ戦●

・3-0というスコアは、今シーズン、バルサのチャンピオンズリーグでの記録。一つは、バルサ無得点というのが初めて。また3点取られた事は、予備戦の第1戦であったが、そのときは3-4でバルサの勝利。3-0は昨シーズンのベシクタス戦以来。

・バレンシア戦の枠内シュート1本に比べ、若干増えたこの試合。それでも5本打って0点。一方ローマは4本打って3得点と効率よし。

・チャンピオンズで、スペインチームがイタリアチームに負けたのは14か月ぶりのこと。その14か月前の試合とは、デポルティーボ-ミランの0-1。

・ジェラールのスタメン出場は、昨年の12月9日のバルサ-セルタ戦以来、実に2か月半ぶり。

・試合前にグラウンドの周囲の陸上トラックに水がまかれた。特にゴール裏の部分には念入りに。というのは、客席から投げ入れられる発煙筒での焼けこげができるのを防ぐため。

・観客席にはバルサ理事会からガスパー会長を始めたくさんの人が陣取っていた。一方ローマまで応援に駆けつけてバルサファンは100人。カンプノウでみられた4千人のローマファンに比べると・・・。

・試合前日、バルサ選手の宿泊するホテルに激励に現れたのは、デ・ラ・ペーニャ。そして、彼の心のチーム・バルサの勝ちを、現チームのライバル・ローマの負けを願ったのだが・・・。

記録更新なるかリバルド(2002年2月26日)

ローマに向けて出発はしたものの、試合直前までは出場するかどうかは保留状態のリバルド。彼もクライハートと同じくローマ戦で50試合出場記録を樹立しています。ただし、彼の場合は、バルサの選手として、ヨーロッパの大会すべての出場回数。成績は27勝10敗12分で31得点を叩き出しています。

このバルサの選手としての試合数の最多記録は、ミゲーリの85試合で、2位にグアルディオーラの71試合、3位はスビサレッタの68試合。ちなみにリバルドの50試合は16位。ただし、この50試合でリバルドの31得点は最多で、続くはエバリストの27得点、そして3位に現監督レシャックが25得点でつけます。どちらの記録もどんどん更新期待。

試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月24日)

●バレンシア-バルサ戦●

・昨日の試合での個人記録。98-99のシーズンから4年目のデブーが、スペインリーグ100試合目。残念ながら勝利のお祝いはもらえなかった。もう一つは監督のレシャック。彼がバルサの監督してベンチで采配を振るった50試合目。これは95-96シーズンのクライフがクビになったあとの2試合も含めて。そして勝率は、昨日の試合に勝てば25勝と5割のはずだったのだが・・・。

・次の記録はあまり作りたくないもの。一つはボールを取られた回数が90回。ということは1分に1回はボールを取られてしまったということ? そしてもう一つは、枠内へのシュート数が89分にモッタの放った1本だけ。ということは、バレンシアのゴールにキーパーがいなくても2-1で負けていたということ?

・バレンシアの1点目を叩き出したルフェッテは、バルサのカンテラ出身。そして彼を1部デビューさせたのは、レシャック。95-96シーズン、クライフのあとを次いだレシャック監督、1996年5月26日の最終節、デポルティーボ-バルサに、セラーデスに代えて51分からルフェッテを投入。それが彼の1部デビュー戦。

記録更新中のクライハート(2002年2月23日)

クライハートは先日のローマ戦で、チャンピオンズリーグ50試合出場を果たしました。アジャックス時代に22試合、バルサに来て28試合で、32勝7敗11分け、26ゴール決めています。シーズン別に見てみると、

<アジャックス時代>
94-95 10試合( 6勝0敗4分) 3ゴール (優勝)
95-96  8試合( 5勝1敗2分) 5ゴール (決勝)
96-97  4試合( 2勝1敗1分) 2ゴール (準決勝)

<バルサ時代>
99-00 14試合(10勝2敗2分) 7ゴール (準決勝)
00-01  4試合( 2勝2敗0分) 2ゴール (1次リーグ)
99-00 10試合( 7勝1敗2分) 7ゴール

[ バルサ医院 ] (2002年2月23日)
リバルド再び安静

ローマ戦から、右足の痛みを訴えて練習を休んでいたリバルド。精密検査の結果、右膝近辺の筋肉に問題が見つかっており、しばらくは安静が必要との医師の診断。いつまでという期限ははっきりとは発表されていませんが、今日のバレンシア戦はもちろん、26日のローマ戦出場もほぼ絶望と見られているリバルド。
「今の段階ではたいした負傷ではない。だが非常にデリケートな負傷であるため、もし無理をすると大怪我になる可能性がある。その危険はどうしても避けなければいけないから彼を休ませているんだ。今日の試合でもプレーできないわけではない。彼は痛み止めを打ってでもプレーしたがる選手だからね。だが我々はそれによって生まれる可能性がある筋肉の亀裂だけは防がないといけない。もしそうなったら2か月以上のリタイアになってしまう。」と、バルサのドクター、プルーナ医師は語っています。

記録樹立のローマ戦(2002年2月22日)

20日のバルサーローマ戦、カンプノウの入場者数90,507人。これは今シーズン最高の入り。リーグ戦での13試合はバレンシア戦が9万にで最多。ちなみに一番少なかったのはバジャドリ戦の2万人。トータルでは72万人で一試合平均55,384人。一方チャンピオンズリーグではもちろんローマ戦が最多ですが、3次予備戦のクラスコビア戦とレバクーゼン戦が75,000人と続いています。トータルは43万人で一試合平均71,751人。リーグ、CLすべてあわせると、1,150,507人の入場者数で一試合平均63,567人となります。

もう一つの記録は、TV視聴者数。今シーズンのチャンピオンズリーグの中継では前日に行われたマドリ-オポルト戦(6,516,000人)を抜いて、6,713,000人の一位。この数字は平均のもので、試合終了28分前には最高の900万人、視聴率48.5%をヒットしたそうです。

試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月21日)

●バルサ-ローマ戦●

・雨と寒さTV中継という悪条件で4万人しかカンプノウが埋まらなかった前回のデポルティーボ戦にくらべ、このローマ戦は9万人のクレーがカンプノウを埋めた。バックスタンドには、「フォルサ バルサ」の文字が浮き出るアスールグラーナのモザイクもあらわれる。

・昨日の試合での3つの記録。リバルドがすべてのヨーロッパの試合出場、バルサの選手として50試合目。同じく50試合目のクライハート、ただし彼は、所属したすべてのクラブで、チャンピオンズリーグだけの出場数。そして、所属したすべてのクラブで、すべてのヨーロッパの試合において75試合目だったのはオーベルマース。

・昨日の貴賓席にはいろいろな有名人がひしめき合っていだが、ここでは一人だけ。それはアンデルソン。前日に手術して、昨日の午後退院したアンデルソンは、その足でカンプノウへ。観客席から12人目のバルサ選手として応援。

・ダフ屋からよりも、ソシオのカードを買うという方法でチケットを手に入れた人が多かった昨日の試合。それも、事前にインターネットやコネを使って席を手に入れたイタリア人も多い。あるソシオは、正面スタンドの席を8万円で売ったという。また、1階ゴール裏の熱狂バルサファンがひしめき合うところにもローマの旗が振られた。ライバルにソシオカードを売るのだけはやめて欲しい、と彼らは抗議する。

・試合前にカッペロに友人のトシャック(現ソシエダ監督)から電話。実はあるラジオ番組でのジョークでトシャックは偽物。カッペロはすっかりだまされたようでしばらく話していたが、「バルサに来るのか?」という質問には「まだ1年ローマと契約がある」とかわした。はてさて、だましたのかだまされたのか?

フォルサ バルサ!(2002年2月20日)

今日のカンプノウはうるさくなりそう。10万人近くのバルセロニスタの応援で盛り上がるのは大いに期待したいところですが、ウルサイのはローマからやって来る4千人のティフォッシたち。すでにランブラス通りには赤と黄色に染まった人々の姿がみられます。

ローマでは3,275枚の入場券が売られていましたが、それはもちろん完売。その他、1千人近くは、バルセロナでチケットを手配済みと言われています。しかしチケットを持たずにバルセロナにやってくるファンが約600人はいる模様。カンプノウではいっさいのチケット販売はおこなわれない試合のため、ダフ屋にとっては忙しい一日となりそうです。

もちろんそんなローマ軍の侵略に負けてはいないバルサ軍団。今日のカンプノウには「フォルサ バルサ」の文字が浮き出るアスールとグラーナ色のモザイク模様が作られるということ。

[ バルサ医院 ] (2002年2月20日)
アンデルソンの手術成功

2か月ぶりに試合に戻ってきたアンデルソンが、トリスタンとの衝突により再び負傷。なんと今シーズン5回目の入院になりました。この左膝じん帯の破損という彼の負傷は、安静にして直すことが多いもの。ただ前回の負傷と場所は違うものの近い位置で同じタイプのため、思い切って手術をした方が確実ということになり、昨日、19日に手術が行われました。手術は成功。そして。全治2か月半との発表ですが、今日から始まるリハビリが順調にいけば2か月くらいで復帰できる可能性もあるそうです。

タダ、無料、え〜い、持ってけ泥棒!(2002年2月18日)

契約切れの選手を一番抱えているのは、マヨルカとラーヨでそれぞれ7人ずつ。続いて6人のラスパルマス、セビリア、ビジャレアル。ドナートが契約更新したため、現在一番年上になるのは37歳のバジャドリのエウセビオ。続いて36歳の選手たちが4人。一人はマヨルカのエンゴンガですが、残りの3人はアングロマ、デュキック、カルボーニとすべてバレンシアの選手。

もちろんこれからシーズン終わりまでにこのうち何人かの選手が契約更新をするでしょう。デポルティーボのドナートはあと数試合プレーすれば自動更新というところで負傷してしまいましたが、その後39歳であるにもかかわらず、クラブは彼との契約更新をしています。また、このまま今シーズンプレーを続けていけばそのまま自動的に契約更新になる選手もいます。この中にはバルサのセルジ(30歳)、アベラルド(31歳)が含まれます。

試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月17日)

●バルサ-デポルティーボ戦●

・試合前にまた流れた曲「レッド・リバー・バレー」。今回は、先週亡くなった元バルサ選手で元バルサ監督で元ナショナルチーム監督で現ラジオ解説者のバルマーニャ氏を偲んで。

・グラウンドに出てきて整列したデポルーティボの選手たち。観客席に向かって手を挙げて挨拶する彼らはユニフォームの上に「元気を出せ、ドナート」と描かれたTシャツをきていた。

・3か月ぶりに登場したルイス・エンリケ。しかもゴールまで決めたこの試合、バルサ選手として225試合目。

・頬骨にひびが入ろうと止まることをしらないプジョー。彼のセンタリングから生まれたクライハートのゴールが決勝点に。喜びを分かちあうために選手達に走り寄っていったプジョー。抱きついたとたん頬に手を当てる。ひびの入った頬をぶつけ痛みを思い出してしまった。

・観客席には、博覧会「プラネット・フットボール」に参加するためにバルセロナを訪れているブラジル代表フェリペ監督の顔。5月に行われるカンプノウでのキャンプの下見を。

ナイキと新しい契約(2002年2月16日)

NFLとの契約でアメリカへのバルサ市場の拡大を狙い、Havasとの契約で広告による収入増を狙う。そして第3弾は14日に発表されたナイキとの新たな契約。それによると、バルサはバルサ関連商品の管理運営の権利をナイキに譲るかわりに、50%の利益を受けることになります。しかしもちろんバルサのマークの権利はバルサのもの。この契約は今年の7月から有効で、ナイキとのユニフォームの契約期間と同じく2007-2008のシーズンまで。これによりバルサグッズの世界での市場拡大、収入増を狙います。

[ バルサ医院 ] (2002年2月15日)
ルイス・エンリケいよいよ退院

一昨日の練習でまったくふつうにプレーできたエンリケ、3か月近くのリハビリに終止符をうち、ようやく退院、そして今日発表されたデポルティーボ戦の招集メンバーにはいった。一方、全治1週間から10日といわれていたジェラール、2週間たった昨日、エンリケと共に退院したが、彼の方はメンバーから落ちてしまった。

また数試合前から、痛みを訴え、注射をしての試合出場を繰り返していたリバルドは、練習をまったくふつうにこなすことができるようになり、土曜日のデポルティーボ戦出場には問題なさそうだ。

ガブリの100試合(2002年2月12日)

1999年8月8日に行われたスペインスーパーカップ、バレンシア-バルサ戦に20歳でデビューしたガブリ。先日のマヨルカ戦が100試合目。その上翌日は23歳の誕生日。あの試合勝てれば本当に嬉しいプレゼントになったんだけど・・・というガプリの100試合の内容は以下の通り。

リーグ    64試合(32勝15敗17分)  7ゴール
国王杯    10試合( 5勝 2敗 3分)  0ゴール
スーパーカップ 2試合( 0勝 1敗 1分)  0ゴール
CL     19試合(16勝 3敗 0分)  5ゴール
UEFA    5試合( 3勝 0敗 2分)  0ゴール
---------------------------------
トータル  100試合(56勝21敗23分) 12ゴール

試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月10日)

●マヨルカ-バルサ戦●

・99-00シーズン、ファン・ハールのもとで、1部リーグデビューしてから3シーズン目のガブリ、この試合がバルサ1部での100試合目。

・ドリームチーム時代のアイドルはナダールだったというプジョー。試合のあとでユニフォームを交換。もう感激です!

・3試合連続1部に呼ばれているモッタ。この試合も最後3分だけだがプレー。しかしこの3分のため、今日の2部Bの試合には出場することはできなくなった。

・試合が始まってすぐに選手から柔らかすぎるというクレームで次から次へと交換されたボールは3つ。

・過去3シーズン、3連敗のこのサン・モイスタジアム。今回、負けはしなかったけど、勝てない呪いは断ち切れなかった。

(Grana:1点も拾えなかったこの試合。穂もろくなものが拾えない)

ペップを抜いたセルジ(2002年2月9日)

1993年11月28日、ラーヨ-バルサ戦でリーグデビューしてから9シーズン目のセルジ。先日のソシエダ戦でリーグ264試合となり、263試合の記録を持つペップを抜き、現役プレーヤーのなかでは最高記録を樹立。現役選手では、上記のペップ(263試合)、ナダール(207試合)、フェレール(204試合)、エウセビオ(203試合)などがいますが、すでにバルサを離れているので記録はストップしていますし、バルサ在籍のアベラルドとルイス・エンリケはとても追いつけそうもない数字。そしてセルジは未だ記録を更新中。

264試合出場
  153勝59敗52分け
  スタメン出場 250試合
  90分プレー 229試合
  6ゴール
  イエローカード 51枚
  レッドカード   2枚

試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月7日)

●バルサ-ソシエダ戦●

・痛み止めを打っての出場になったリバルド。彼にとってこの試合はバルサでのリーグ150試合目。

・キャプテンセルジは、この試合はバルサでの公式試合375試合目。

・試合開始前、土曜日になくなった副会長フランシスコ・ベントゥーラ氏を偲んで、1分間の黙とう。涙をこらえきらないマリア・ドロレス未亡人を、横に立つガスパー会長が慰める姿。

・激しいファールや、問題になるシーンの少なかったこの試合。終わってみれば1枚もカードのでない試合に。おそらくこれは今シーズンの全リーグ戦で初めてでは。

・観客席には、かつてのバルサの選手、現インテルのスポーツディレクター、ルイス・スアーレス氏の姿。来シーズンの選手獲得のためにバルサ観戦、どの選手に狙いをつけた?

プラネット・フットボール(2002年2月6日)

2月9日から17日まで、スペイン広場にある Fira de Barcelona で開かれるフットボールの博覧会について先日紹介しましたが、もう少し詳しい日程。

 9日 開会 バルサ-マドリ OBによるフットサル
10日 カタルーニャ-エウスカディ(バスク) ビーチサッカー
    プレダドール・カップ(子供)
12日 スペイン-ロシア フットサル親善試合
13日 スペイン-ポルトガル親善試合 モンジュイック
13・14日 フットボール・プロフェッショナール国際会議
15・16・17日 第4回フットサルヨーロッパチャンピオンズカップ
16・17日 フォックス・キッズ・カップ 40チーム以上による子供サッカー
17日 競売

そして毎日、フットボール博物館、映画、選手サイン会など。

[ バルサ医院 ] (2002年2月6日)
入退院情報

ここ数日の入退院情報。まず入院の方から。ジェラールが2月1日の練習中に負傷、前回傷めたのと同じところで、全治1週間から10日。

退院近しは、ルイス・エンリケ。4日からマシアでの練習に復帰してきた彼は、11月20日のリバプール戦で負傷してから2か月以上のリハビリ生活をようやく抜け出せそうだ。このまま問題がないなければ今週末には退院許可が下りそう。

入院まではいかないまでも、なかなか100%にならないリバルド。試合ではプレーできるものの、常に痛み止めを打っての出場になっている。

バルサBは得点王!(2002年2月5日)

テネリフェ戦で活躍したカンテラ選手モッタも所属するバルサBは、現在5連勝で2部Bの第2グループのトップを走っている。そしてトータル46ゴールは、1部、2部A、2部Bの上位3カテゴリーを通じて最多得点チーム。続くのは、セルタとマタロの42ゴール。

モッタを欠いた先週の試合でも5点をあげたバルサBは、2試合連続5得点。その中でも得点王は、16ゴールのババンジータ。続くは、トラッショーラスの10ゴール、ナノの6ゴール、ジョフレの5ゴール、モッタの4ゴール。

「6ゴールできたかも・・・」(2002年2月4日)

テネリフェ戦で4ゴールを決めたクライハート。「残り20分もプレーしていたら6ゴールできたかもな。でもそれはソシエダ戦に残しておくからいいか」とインタビューにこたえていました。

この1試合で4ゴールというのは、もちろんクライハートが最初ではありません。バルサの歴史上、リーグ戦において一人で4ゴール以上決めたのは、いままでに25回(4ゴール19回、5ゴール5回、7ゴール1回)。

一番最近は、91-92のバルサ-アルバセテ戦(7-1)で、ストイチコフが17分、62分、67分、76分の4ゴール。

一番ゴール数の多いのは、51-52のバルサ-スポルティング戦で、クバラが11分、27分、70分(PK)、73分、75分(PK)、83分、89分の7ゴール。

一番回数の多いのは、セサーで47-48(バルサ-エスパニョール 5-1)、48-49(バルサ-オビエド 5-2)、49-50(バルサ-オビエド 5-0)、50-51(バルサ-ソシエダ 8-2)、52-53(サラゴサ-バルサ 1-5)と5試合に、それぞれ4ゴールを決めています。

1シーズンで2度も4ゴールを決めたのは、43-44シーズンのマリアーノ・マルティンで、バルサ-グラナダ(7-2)とバルサ-サバデル(5-0)の2試合で。

クライハートには2試合連続という記録をお願いしてみましょう。

試合終わって、落ち穂拾い(2002年2月3日)

●テネリフェ-バルサ戦●

・4ゴール決めたクライハートは、これで11ゴールとなり、カターニャと並びリーグ得点王。「1試合で4ゴールを決めたのは初めて」と試合後語ったクライハートだが、実は2度目。ただしバルサの選手としてではなく、オランダ代表としてユーロ2000のユーゴ戦で4ゴールを叩き出している。

・昨日、心臓発作で突然なくなった副会長フランシスコ・ベントゥーラ氏を偲んで、バルサの選手の腕には黒い喪章が。

・今シーズン6得点は初めてのバルサ。しかし過去には0-6という試合はある。一番最近は昨シーズン、ソシエダ相手の0-6。91-92にバジャドリ戦、そしてその前年にアスレティック戦と今回のテネリフェ戦が4回目。

・ボナノを押さえスタメン起用されたレイナ。試合後、6失点も喫し気落ちしているテネリフェのキーパー、アラゴネスの肩を抱き、なぐさめている姿が見られた。

・真夜中のパーティー事件から初めてのフエラでの試合。滞在したホテルには、4人もの警備の人がつき、当日朝の散歩にも付き添い。もちろんこれはパーティーをしないようにではなく、ファンが入り込まないようにとのこと。

フットボール博覧会開催(2002年2月1日)

2月のバルセロナは、フットボール的にとてもにぎやかな月。それはコルーニャ戦やローマ戦があるからではなく、フットボールに関する世界初の博覧会がバルセロナで開かれるからです。

それは「プラネット・フットボール」と名付けられた博覧会で、2月9日から17日まで開かれます。場所はモンジュイックの丘のふもと、スペイン広場にある博覧会会場。4万Fを利用してのこの博覧会には150以上の展示場がおかれ、期間中に30万人の参加が見込まれています。

●会合
・UEFA規律委員会の会合
・G−14の会合
・13日・14日 「21世紀におけるフットボール」というタイトルでのフットボール・プロフェッショナール国際会議

●試合
・13日 スペイン対ポルトガルの親善試合がモンジュイクのオリンピック競技場で。
・スペイン対ロシアのフットサルの試合
・バルサ対マドリのOBの試合
・エスパニョール対バルサの女子フットボールの試合

●催し
・世界最大のフットボール博物館(2千F)
・バルサ展示場(600F)において、期間内毎日午後選手のサイン会
・17日 ヨハン・クライフ基金(クライフが主催する基金で、子供の身体障害者を経済的にお援助することを目的に作られている)主催による競売。競売されるものは有名選手のサイン入りのユニファームやボールなど、一般の人々にも経済的に可能なものから、コレクター専用の高価なものまで。バルサがベルナベウで0-5で勝ったときの選手達のサイン入りボールやディー・ステファノが60年代に乗っていた車も出品されるそうです。

この期間バルセロナを訪れる予定の方は、ぜひこの博覧会見学を!