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Granaが分析すると・・・(2001年8月31日)
新規加入が決まったイタリア人選手ココ。24歳、独身、ガールフレンドなし。身長181cm、体重78キロ。 女の子に騒がれる男として、ミランの街で1位、2位を争う・・・と本人は言う。好みの女の子のタイプは、自然で素直な子。スタイルは別に気にしない。 ラテン音楽のリズムが好きで、スペイン語の単語もそこから覚えた。音楽はとにかくボリュームを最大にして聞くのが好きで、リーキー・マーチンとジム・モリソンが趣味。ロマンスコメディタイプの映画が好きで、俳優はブラッド・ピットが好き。だから、彼とジュリア・ロバーツのでている新作「The Mexican」は好き。食べ物は、パスタをニンニクとオイルとピクルスで調理したものが大好き。洋服で好きな色は青と黒。プレステで遊ぶのは好きだけど、パソコンやインターネットは大嫌い。 好きなフットボール選手はパオロ・マルディーニ、パオロ・ロッシー、マラドーナ。好きな番号は3と77。もしフットボール選手になっていなかったとしたら、ヒッチハイカーになっていたい。 分析まとめ バルサ初の本物イタリア人選手。とにかくバルサには珍しいタイプということに間違いない・・・だって、グワッポ(ハンサム)・・・負けるなセルジ! |
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リーグ初戦勝利(2001年8月29日)
リーグ第1節、セビリア戦を勝ち、まずまずのスタートを切ったバルサですが、実は90-91のシーズンから、初戦に負けたのは、94-95(スポルティング2-1バルサ)の1回だけ。引き分けも98-99(ラーシング0-0バルサ)の1回で、残り10シーズン(今シーズン含む)は常に勝利でスタート。 一方、マドリの方を見てみると、92-93の初戦に負けて以来、8シーズン負け知らずでした(6勝2分け)・・・が、今シーズンでこの記録もストップ。バレンシアに1-0と土をつけられてしまいました。ちなみに92-93の負けとは、バルサ-マドリのダービー戦が初戦となった年で2-1のスコアでバルサの勝利でスタートしたシーズンです。 |
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[ バルサ医院 ](2001年8月29日) 検診報告 今週にも完全復帰が見込まれていたジェラールは、手術した右膝にまだ腫れが見られるので、大事をとって、あと2週間様子を見たい、と昨日のラジオ番組で手術をした医師が語りました。リーグも始まり、早く参加しようと少し無理をしたようだ、とのこと。 また、回復予定の3週間の半分以上たったレイジンハーは、昨日の再検査で、思ったよりも重傷だったことが発覚。回復には現時点から4週間と入院がのびました。 アベラルド 手術後設定された6か月まであと15日。今のところ順調に回復しており、予定通り2週間後には他の選手と一緒に練習に参加できる見込み。 ダニ 手術後の回復は順調で、すでにランニングを始めている。 F・デブー 前回書き忘れましたが、左足アキレス付近の負傷で入院中。今日、医師の勧めで最新技術の治療を受けました。1週間後にまた同じ治療を受ける予定です。 |
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フットサルでもやってみますか(2001年8月28日)
リーグ初戦を勝利で飾り、次の試合まで2週間も気分良く過ごせそう。その間にトリデンテの調整も・・・というわけにはいかないのがちょっとつらい。この休みはワールドカップの予選でナショナルチームに選手が出張。 8/31 スペイン-オーストリア(アンダー21) なんと残るのは、負傷者を除けば7人だけ。ボナノ、ドゥトルエルのキーパー2人と、クリスタンバール、ロッチェンバック、サビオラ、アルフォンソ、ジェオバンニ。う〜ん、フットサル・バルサの結成かな? |
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リーグ開始、バルサ勝利、キニエラ・・・はずれ(2001年8月27日)
23日の記事で紹介したサッカーくじ「キニエラ」。皆さんは予想してみましたか? 初戦は1部の10試合は引き分けなし、というカピタンチキの予想と正反対の結果になりました。 (1)1. MALAGA-R.BETIS 15試合すべてを当てた人は2人で一人当たりの賞金は1億7,695万ペセタ。14試合は9人の人が当て、賞金は2,542万ペセタ。13試合(333人)で45万ペセタ、12試合(5,241人)で2万9,000ペセタ。11試合(46,563人)は3,276ペセタでした。カピタンチキは・・・はずれ。 |
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ネットサスライ・ギャンブラー(2001年8月26日)
先日、スペインのサッカーくじ、キニエラの紹介をしましたが、今回は、Web上でスペインリーグどころかあらゆるリーグの賭ができるお話。まず一つは、www.unibet.com 。そこには、ヨーロッパ、南米のフットボールリーグ(国によっては2部も含む)、テニスやゴルフ、アイスホッケー、ハンドボールまでありとあらゆるスポーツの試合に賭けられるようになっています。ちなみに今日のバルサ-セビリア戦のオッズは、現時点でセビリア勝ちが4.50、引き分け3.15、負けが1.75。 もう一つは、www.expekt.com ここでのオッズは、3.40、3.25、1.95になっていました。また、このサイトでは新しいTV放送技術を利用して、試合を見ながら賭けられる、例えば、試合中に次に誰がゴールを決めるかなどをその場で賭けるということも近いうちにできるようになるということ。今どきのギャンブラーは・・・。 |
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バルサのアルゼンチン選手(2001年8月25日)
シーズンが始まる前から、バルサファンの魂を奪ってしまったサビオラ。母国アルゼンチンでも人気は衰えず、先日のガンペル杯まで中継したくらい。さて、バルサに在籍したアルゼンチン選手といえば、マラドーナが有名ですが、バルサ101年の歴史でアルゼンチン選手は、13人プラス今シーズンのサビオラとボナノ。どんな選手がいたかちょっと見て見ましょう。 Juan GARCHITORENA |
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[ バルサ医院 ](2001年8月25日) 01-02シーズン開始に向けて [ 入院中選手] ダニ 8月初めに負傷して手術。回復まで約3か月 レイジハー 8月17日に行われたガンペル杯で、左足負傷。先日行われた本検査では、3週間の診断。 ジェラール 4月4日に右膝の手術 順調に回復し、8月3日のテストマッチに出場1ゴールを決めた。しかし、その後また痛みを訴え、しばらく安静に。 22日には練習場にジェラールとアベラルドが現れ、ボールを使った練習もしたが、まだ他の選手とは別メニュー。 |
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初戦はリヨンとカンプノウで(2001年8月24日)
バルサはFグループ、リヨン(フランス)、レーベルクーゼン(ドイツ)、フェネルバッチェ(トルコ)との組み合わせ。バルサの試合日程は以下の通り。 9月12日 バルサ - リヨン グループ別チームはここ。 |
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一次リーグ組み合わせ抽選(2001年8月23日)
今日の4時から、チャンピオンズ1次リーグ組み合わせ抽選が行われますが、バルサは第1シード。第1シードのチームと、スペインのチームとは当たりません。シードは次の通り。 第1シード 第2シード 第3シード 第4シード |
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キニエラ(2001年8月23日)
今週末からいよいよリーガ2001-02が始まります。リーガが始まるとそれに連れてもう一つ始まるもの、それはキニエラ。ホームの勝ちを「1」、引き分けを「X」、負けを「2」と表するところから別名1X2(ウノ・エキス・ドス)ともよばれています。日本でもtotoが今シーズンから始まり人気を博しているということですが、こちらはかつてのフランコ将軍までやっていたという歴史ある賭け事。当てるのは1部リーグ10試合プラス2部Aの5試合(うち1試合は別枠)。1つは50ペセタで最低2つから。14試合中11試合以上当てると賞金が出ます。詳しいことは「バルサ観戦しよう」の「さらにバルサ探求(C)」をごらんください。ちなみにそこに載っている写真は第1節のもので、当たらないので有名なカピタンチキの予想マークです。皆さんも予想してみますか? 下に15試合書いておきます。2部の11〜15は悩みどころですが、第1節ということで1部の10試合も予想がむつかしいかも。来週はじめに結果と賞金額をお知らせしますから、お楽しみ下さい。 1. MALAGA-R.BETIS |
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待望のトリデンテ(2001年8月22日)
サビオラ、クライハート、リバルドの3人の攻撃トリオを称して「トリデンテ」。意味をご存じですか? 噛めば噛むほど味が出るガム・・・のことじゃなくて、海神ネプチューンが持つとされる、三叉の武器のこと。 サビオラのお父さんの死、リバルドのナショナルチ−ムの試合などで、なかなかそろうことのなかった3人。それがようやく昨日の試合で3人一緒のプレーを披露。なかなかゴールが決まらない「イライラ」と、そこここに見せるファンタスティックな連携プレーへの「ワクワク」の混ざり合ったトリデンテデビュー戦になりました。では、3人のプレーデータをみてみるましょう。
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キンタ・デ・コビ(2001年8月21日)
1992年の夏、満員のカンプノウでは、ポーランド対スペインの試合が行われていた。バルセロナオリンピックの決勝戦、キコのゴールで3-2とポーランドを破り、スペイン代表初の金メダル獲得を果たす。バルセロナオリンピックのマスコットの名前がコビだったことから、20人いた彼らをキンタ・デ・コビ(コビ軍団)と呼ぶ人もいた。 あれから9年、昨シーズンは彼らにとってあまりよい年とはいえなかったようだ。だれ一人としてタイトルを獲った者はいない。オリンピックではチームの14ゴール中5ゴール、決勝点も決めた得点王のキコは、2部のアトレティコをでて、今シーズンはまだ行き先が決まっていない。そしてそれはバルサを退団したグアルディオーラにもいえる。すでに引退は2人、昨シーズン2部でプレーしていたのは5人、今シーズン2部落ちになったチームに3人。
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今年のヨーロッパをかけて(2001年8月21日)
今日21日21時15分より、チャンピオンズリーグ3次予備戦第2試合、バルサ-クラコビア戦。第1試合を3-4と勝っているバルサは有利ですが、今シーズンがかかっているといってもよいこの試合のプレッシャーはバルサの方が何十倍も大きいはず。 バルサは昨日から、el Montanyaというところにミニ合宿。レシャックが監督になってからこのミニ合宿は3回目(リーグ最終バレンシア戦と国王杯準決勝セルタ戦)。一方クラコビアは昨日の夕方バルセロナに到着。先日の自国のリーグ戦では地元で勝っており、この相手のようには行かないが、望みは捨てていない。我れは失うものはなにもないんだ、と監督は語ります。 なお、今日の試合を吹く審判は、フランス人のGilles Veissiere。彼は、今まで一度もバルサの試合を吹いたことはありませんが、中には顔見知りの選手も。というのは、2000年のユーローのとき、終了間際ぎりぎりにアルフォンソのゴールで勝ったスペイン-ユーゴ戦を吹いた審判なのです。 |
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SA_IOLA と RI_ALDO(2001年8月20日)
新たに起こっているサビオラフィーバー、未だ衰えないリバルドフィーバー。カンプノウにあるバルサショップ(ボディガ)では、この2人の背番号と名前入りのユニフォームが飛ぶように売れています。そして起こった問題は・・・「V」の字がなくなった! 取りあえずは、「A」を逆さまにして横棒をとってしまうという応急処置できりぬけましたが、サビオラの背番号「7」と、リバルドの10の「1」と「0」も残りわずかで、売り切れ寸前! ・・・でも、クラスコビ戦のある明日には大量入荷を予定しているとのこと。(「KLUI_ERT」が「オレだっているんだぞ!」と言っているとか・・・) |
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ペーニャ・バルセロニスタ(2001年8月19日)
ペーニャ(Pen~a)を辞書で調べると、サークル、会という意味ですが、ペーニャ・バルセロニスタといえば、バルサの公認ファンクラブ(後援会)のことで、世界中合わせると1,450のペーニャがあります。スペイン国内に1,378(カタルーニャだけで485)、外国に70、そして、インターネット上に2つできています。カタルーニャ内ではバルセロナだけで316。カタルーニャの次に多い州はアンダルシアで226。以下が地域別内訳。 カタルーニャ 485 |
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51勝8敗7引き分け(2001年8月17日)
いよいよ今日、新加入選手のカンプノウ正式デビューのガンペル杯。前回に引き続き過去のデータを見てみましょう。 1966年の第1回ガンペル杯の招待チームは、アンダーレヒト、コロニア、ナンテスの3チーム。バルサ第1戦はアンダーレヒトと。2-1でバルサ勝ち進み、決勝戦はコロニア。3-1で1回目優勝を飾っています。それ以後、バルサは計66試合しており、成績は51勝8敗7引き分けで、35回のうち、26回優勝を果たしています。 またトータルで164得点、69失点。一試合最高は1984年ボカ・ジュニア相手にテリー・ベナブレス監督率いるバルサが9-1で勝っています。反対は1970年ディナモ・モスク相手に同じくイギリス人のビック・バッキンガム監督のバルサが、0-5とやぶれています。 始めは4チームで準決勝・決勝を2日間で戦う方式でしたが、1997年からはバルサともう1つの招待チームで1試合のみにかわっています。基本的にはカンプノウで行われますが、過去2回(1990年と1996年)は、カンプノウのグラウンドの芝の都合で、モンジュイックのオリンピック競技場で開催されました。 |
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ガンペル杯と共に(2001年8月16日)
数年前までは4チームで準決勝、決勝・3位決定戦と、各チーム2試合、計4試合が行われていたジョアン・ガンペル杯ですが、現在は1試合のみ。今シーズン第36回目は、明日17日にパルマ相手に行われます。このバルサの創設者の名前が付いたカップは、1966年から始まっており、それは奇しくもレシャックが、バルサの選手としてデビューしたのと同じ年。彼は、選手としての15年間のうち、12回、その後クライフ時代にサブとして4回優勝しています。 現在までの得点をあげた選手を見てみると、 このほか現在いる選手では、リバルドが2ゴール、ダニ、セルジ、ジェラールが1ゴールずつ。またサブのアレサンコも2ゴール決めています。 |
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イタリアを抜かせば、バルサが1番(2001年8月15日)
・・・とは、現時点で今シーズン選手獲得に使った金額。バルサは151億3100万ペセタ使って5人選手を獲得しています(6人目のボナノは移籍料なしのためリストに入っていません)。これはイタリアを含めば4位。使った金額の上位15のチーム中、イタリアが6チーム、イングランドが4チーム、スペインが3チーム、フランス、ドイツが各1チームとなっています。以下に一覧を載せますが、やっぱり目を引くのが、7位のR・マドリ。バルサより26億ほど少ない出資ですが、獲った選手はたった一人。もちろん多けりゃりいいとはいいませんけど、でも・・・。
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2歳も若くてピチピチ(2001年8月14日)
先月、バルサの選手の平均年齢が昨年にくらべ10か月の若返ったというニュースを載せました(7月27日)。それでは、このシーズン前の様子から、スターティングメンバー予想選手の平均年齢を比較してみましょう。比較といっても今回は去年のバルサではなく、今年のマドリスターティングメンバー予想選手と。年齢は、2001年9月1日のものとしますので、まだ誕生日を迎えていない8月生まれの選手は1歳プラス(これに該当するのはマドリではカランカのみ。バルサにはレイナ、クリスタンバール、アンデルソンと3人いますが、そんなことは気にしない太っ腹)。キーパーだけは2人候補で計12人の平均になります。 バルサ予想スターティングメンバー(平均年齢 24.8歳) R・マドリ予想スターティングメンバー(平均年齢 26.8歳) というわけで、今年のバルサは2歳もお若い。 |
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今日はお休み、明日は半分(2001年8月13日)
シーズン前のテストマッチをすべて終えたバルサ。昨夜バルセロナに戻ってきて今日1日は休暇が与えられました。そして明日からはまた厳しい練習・・・に参加するのは約半分。残りの選手はナショナルチームにお呼ばれ。昨日のニュースでオランダ人5人のことを書きました。その他、ブラジルにリバルドがすでに行っています、スウェーデンにアンデルソンが、そして14日に行われるポルトガルでのアンダー21に、チャビ、ガブリ、レイナが呼ばれています。この10人に加えて、ダニとアベラルドが負傷で練習に参加できませんので、残りは半分の12人(ボナノ、ドゥトルエル、アルナウ、セルジ、クリスタンバール、プジョー、ルイス・エンリケ、ロッケンバック、ジェラール、アルフォンソ、ジェオバンニ、サビオラ)。 |
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オランダ人は居残り(2001年8月12日)
今日4時から行われるブラックバーン戦をもってバルサの練習試合はすべて終わり。リーグ開始まで残すは、カンプノウでのガンペル杯とチャンピオンズ予備選の第2試合のみ。国外遠征も今日を持って終わり、バルセロナに帰還。でも、15日に行われるイングランド・オランダの親善試合にバルサのオランダ人選手すべてが呼ばれているため、彼らはイギリスに居残り。ファン。ハール代表監督は24人の選手を招集していますが、そのうち5人(クライハート、コクー、レイジハー、オーベルマース、デブー)がバルサから。次に多いのはPSVの4人で、なんとアジャックスからは一人も呼ばれていません。 |
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賛否両論?(2001年8月11日)
今シーズンから採用されている金色の第2ユニフォームが、先日のクラコビア戦でデビュー。そのときに一緒にデビューしたかったもう一つの金色ジャージ(ジャンパー)。ポーランドが思ったより暖かかったので、着用しない選手が多かった。それが、昨日のダービー・カウンティー戦のイギリスでは15度と気候的にもジャージ着用に最適。このジャージ(アノラックとの表現も)についての新聞報道は、わりと批判的。とてもスポーツ用品という感じではなくまるで70年代のディスコみたいだ。こんなのを着るくらいなら寒い方がいい、という陰口をきく選手もいたとか。もっとも気に入っている選手もいるということで、それはもう個人の好みの問題。私は、非常に気に入っていますが、あなたは?(写真) |
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プジョー全快(2001年8月9日)
練習中にアンデルソンの強烈なタックルによりKOとなっていたプジョーが、どうやら回復し明日からのイギリス遠征に参加できそうです。 明日10日はダービー・カウントりー、12日の日曜日はブラックバーンとの練習試合。そのあとはバルセロナに戻り、ガンペル杯(17日 21:15)の、21日のチャンピオンズ予備選第2試合(21日 21:15)をへて、リーグに突入します。 |
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Zidaneマークは使っちゃダメよ(2001年8月7日)
2000年6月5日にZidaneという商標登録をうちの会社でしている。これは10年有効のものだから、Zidaneの名を入れたユニフォームや帽子等々、勝手に売ってもらっちゃ困る、と抗議がされているとか。この会社の弁護士によると、すでにアディダスや選手本人、R・マドリッドにその旨書面で知らせてあるとのこと。ここはまた金を使って解決するしかないか? |
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オニューのシューズ(2001年8月7日)
アルフォンソがまた白い靴を履いたかと思ったら、今度はリバルドが練習に白い靴であらわれました。リバウドはミズノとシューズの契約をしており、今までのシューズは黒が基調でした。しかし、今回のデザインはミズノのマークの青と黄色以外は真っ白。そして、後ろに10とRIVALDOの名前、右外側には息子のRIVALDINHO、左外側には娘のTHAMIRYS の名が描かれています。 |
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リバルドはWisla戦出場OK(2001年8月6日)
リバルドは8日のパナマ相手の親善試合にナショナルチームから呼ばれていましたが、その試合は免除され、同じく8日(水曜日)のチャンピオンズリーグ3次予備戦の方にでられることになりました。彼は、試合後ワールドカップ予選のパラグアイ戦に向けてブラジルに発つことになります。 この試合に出られないのは、お父さんの容態悪化でアルゼンチンに帰っているサビオラ、出場停止のデブー、ケガのダニ、アベラルド、プジョー、アルフォンソ、そして大事をとってジェラール。呼ばれているのは以下の通り。 ボナノ、レイナ、レイジハー、アンデルソン、クリスタンバール、セルジ、ガブリ、チャビ、コクー、ロッケンバック、ルイス・エンリケ、ジェオバンニ、オーベルマース、クライハート、リバルドと2部からロベルトの計16人。 |
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Wisla Cracovia というチーム(2001年8月4日)
バルサがチャンピオンズリーグの3次予備選であたるWisla Cracovia は、1906年創設で、1万人の収容のスタジアムをもつポーランドのチーム。ポーランドでは過去、リーグ優勝9回、カップ戦優勝2回の成績。ヨーロッパにおいては、チャンピオンズリーグに2回、UEFAカップ2回出場しています。 バルサはこのチームと対戦したことはありませんが、ポーランドのチームとは過去3回対戦しています。以下が対戦成績。 1970-71 UEFAカップ(1/32) バルサの勝ち |
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8月のカンプノウ(2001年8月2日)
8月にカンプノウで行われる試合は、ガンペル杯とチャンピオンズリーグ3次予備戦の二つ。夏休みを利用してバルセロナに訪れる予定のある方は、ぜひ観戦を。 ガンペル杯(バルセロナ-パルマ) チャンピオンズリーグは、21日が22日(昨日の記事で21日と書きましたが、まだはっきりしていないようです)。 |
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Wisla Cracovia が相手(2001年8月1日)
チャンピオンズリーグ2次予備戦で、Skontoを2-1、1-0で破り勝ちあがったポーランドのチーム Wisla Cracovia がバルサの3次予備選の相手。 どんなチームか間単にご紹介。昨年UEFAカップで、サラゴサと当たっており、PK戦でサラゴサを破っています。また、98-99のパルマ戦のとき、ディノ・バッチオにナイフを投げつけたということで、制裁を受けたことがあります。バルサとの共通点は、現ローマ法王が両方のクラブのソシオであるということでしょうか。 3次予備戦の日程 |
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初の女性審判(2001年8月1日)
昨日行われたグラスホッパーとの試合で笛を吹いたのはスイスの一部リーグの女性審判。1966年生まれで96年からインターナショナルの審判としても活躍。女性ワールドカップの決勝戦、アメリカ・ノルウェーの試合も吹いています。 今まで第4審判が女性という試合はありましたが、第1審判が女性なのはバルサ101年の歴史で初めてということ。記念としてバルサ博物館に飾ろうと、ガスパー会長は試合後、彼女のユニフォームを譲ってもらったということです。 |
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800キロの中身(2001年8月1日)
スイスでのステージもはや半分を終わろうとしています。トラックで選手より一足早く、スイスのホテルへ送り届けられた800キロの荷物。スイスでの10日間のステージで必要なものとは、前の記事の載せたワイン以外にはいったいどんなものがはいっていたのでしょうか。ちょっと覗いてみました。 [ 練習用 ] [ 試合用 ] [ その他 ] [ 薬箱 ] |